鳴子温泉 旅館大沼 あわいのカカワリ

鳴子温泉「旅館大沼」。五代目を務める大沼伸治さんにお話を伺いました。

生活の一部としての「湯治」の記憶

—— ちょうど今、チェックアウトの時間ですが、階段を一生懸命に上がっていくお二人のお姿が見えました。

大沼さん: あちらのお客さまは、うちにとって「リアル湯治」の最後の人ですかね。前は自炊で、自分の作った米とか野菜を二週間分くらい持ってきてやってたんですよ。おじいさんが弱くなってきて、ちょっと目を離せないということで、ここ三年くらいは食事付きにされていますけど。

—— 観光という特別なイベントではなく、日常の延長線上に温泉があったのですね。

大沼さん: 本当に、生活の一部。一年の中のこの時期は行く、って決まっていた。違う地域から集まってきて、他人なんだけど「湯治仲間」みたいな感じでね。郷土料理を交換したりしてね。秋田の人が「砂糖の塊みたいな寿司」を作って持ってきたり。甘いってこと、防腐の意味もあったんだろうなあ。それを福島の漁師さんが食べたりして、それで季節感を感じたり、その人と会った実感を繰り返していたんだと思います。

—— 温泉を中心に、一つの街の機能が完結していた。

大沼さん: (温泉が)ど真ん中ですね。床屋もめちゃめちゃ多かった。温泉入って二、三週間養生して、帰りに髪をさっぱりして帰る。心身ともに一挙上がりで帰れる。そういう日常を過ごす場所だから、日常空間が残っていないといけない。それが湯治場という街の姿でした。

「観光」から「養生」へ

—— その日常的な風景が、いつから変わっていったのでしょうか。

大沼さん: 昭和40年代、高度成長で湯治のお客さんが「廊下でもいいから」という時期があって。今皆さんが泊まっている鉄筋の建物を建てたのもその頃です。その後、平成に入った頃に一泊二食型と交差して、湯治が減っていった。

—— 時代と共に、求められるスタイルが変わっていったと。

大沼さん: 親父が亡くなって二十年以上前に「現代湯治をやろう」って決めたんです。何やるかあんまり決まってなかったけど、この文化は無くしたくなかったし、資産を活かすにはそれしかないかなと。武井さんのように、この場所を一つの「場」として使う人が出てきて、新しい形を自分も実感しているところです。

—— 宿泊代をいただいてサービスをする側と受ける側に分かれすぎると、お互いに疲弊してしまうことがあります。ここでは、その「主客」の境界が少し曖昧な気がします。

大沼さん: そうそう。主客がはっきりしすぎると、間合いがなくなってくるんだよね。決め手は「間合い」なんですよ。今の観光と湯治の違いは需要のベクトルで、観光は外向きの「消費」。当時は内向きの「養生」なんですよ。外のものを消費しても、中が空っぽだったら満たされないでしょ。

—— だからこそ、ここでは無理に何かをさせない。

大沼さん: 以前はツアーも行きまくっていたけど、お互い疲れるのちょっと違うな、って。今は旅館から出ないで、一緒に場を過ごすことで生まれてくるものを大事にしている 。私たちは何もすることなくて、「どうぞどうぞ」って言ってるだけ 。放っておくけれど、実はケアしてる。これを「ほっとケア」って言ってるんです 。顔色も行動も、呼吸も、体温感もなんとなく全部見ている。無闇に介入しないようにしている。

「あわい」を介したカカワリ

—— お客さんと一緒に場を過ごすことで生まれてくるものがある、と。その「カカワリカタ」について、もう少し詳しく伺えますか。

大沼さん: うちも「ハンドルの遊び」のようなところがあるんじゃないかと思っていて 。これこれでなんぼ、っていう商売じゃないっていうのは、敏感にわかるんじゃないかと思うんですよ。

—— 人の間と書いて「人間」。その言葉が浮かびます。

大沼さん: そう、人間って書いて「人の間(あいだ)」でしょう。その「あわい」を介して人ってつながっていく。ここ全体がサロンのようで、でも良い距離感がある場所でありたい。

—— 開かれ具合と守られ具合のバランス、でしょうか。

大沼さん: まさにその「あわい」の面白さですよね 。呼吸をしている感じというか、循環している感じ 。束縛はしないけれど、会う時はつながる 。誰かに会うためじゃなくて、自分のために過ごしに来て、たまたまそこにいる人とも会える 。その「場の設定」が、ちょうどいいんだと思うんです。

「場」を育む「与贈」という循環

—— 「場」のあり方について、大切にされていることはありますか。

大沼さん: 「与贈(よぞう)」という考え方があるんです。贈与の「贈」という字の前に、与えるという「与」を書く。訪れる人が、その土地に何かを「与え、贈って」いく。それによって「場」が生まれてくる、という考え方です。

—— 参加した人がその場に何を与え贈ることができるか、という循環ですね。

大沼さん: そう、その循環が大事だということなんですよね 。例えば、ただ建物の中に人がいるだけでは「家庭」にはならないでしょう。家庭を維持するために、お互いが役割や思いを「与贈」し合って初めて、そこが場になる 。主催者だけがやるんじゃなくて、参加した人がその場に何を「与贈」できるか。シェアハウスも、この旅館も同じです。

—— お客さんと一緒に場を作っている感覚。

大沼さん: こちらが「治そう」とか「何かを得てもらおう」と責任を持ちすぎるとおこがましいんですよ。もうハナから捨てたほうがいい 。私たちは、起きるべきことが起きる環境を整え、見守るだけ。訪れた人が自分なりに何かを見いだし、何かを置いていってくれることで、この場は存続し、より良くなっていくんです。

地球の循環に身を浸し、平和を体感する

—— お風呂は強制的に何かの接続を切る場所になりますね。

大沼さん: スマホも何も持ち込めない「余白」の場所ですからね 。私たちが提供しているのは、究極的には「お湯」だけです 。でもそのお湯は、五十年前にこの鳴子に降った雨なんですよ 。温泉に浸かるということは、地球の大きな循環の一部になるということでもあります。

—— 循環と共生。それが湯治の本質なのですね。

大沼さん: ええ。だから私たちは、温泉を担保するために持山の手入れをして、健康な森づくりをしています 。山の木をフローリングにしたり、ペレットにしたり 。人間同士の関係も、自然との関係も、すべては循環なんです。

—— ここでの体験は、日常にどう繋がっていくのでしょうか。

大沼さん: 目の前でお客さんが変わっていく姿を、私は確信を持って見ています 。ただ、ここだけで終わるんじゃなくて、日常化していくのが目標です 。例えば家のお風呂に入るときにここを思い出してリセットする。日常の小さな習慣を変えれば、確実に変わっていく。温泉という体験を、日常への紐付けとして持って帰ってもらいたいんです。

「事業」から「場」へ、積層される記憶の承継

—— こうした「循環」のお話を聞いていると、宿を次世代に繋ぐ「承継」の捉え方も、一般的な事業承継とは少し異なる気がします。

大沼さん: まさにそうで、「事業」を引き継ぐというよりは、「場」の承継なんだよね 。ここを単なる利益を生むための装置として見れば、効率や固定費の話になります 。でも、うちの核心はマニュアル化できるものではありません。そこにいる人や、これまでに訪れた人たちの記憶が積もり重なっていく地層のようなものだから 。

—— 形を標準化できないものを、どう繋いでいくのでしょうか。

大沼さん: 時間をかけることの大事さですよね 。時間をかけて地層のように記憶を積み重ねていくしかないんです 。自分が信じて続けていくこと、そして訪れる人たちが「与贈」してくれた時間が、場に残っていく 。その積層が、次の時代にこの場所を必要とする誰かのための土壌になります。

—— 終わりのない、長い循環の一部になるということですね。

大沼さん: 日本列島自体が巨大な「温泉郷」なんです 。争いが多い今だからこそ、健康と平和を作れるこの地下資源を世界へ伝えたい 。自分が信じてこの「あわい」を守り続けることが、いつの間にか誰かのためになり、また次の循環を生む。この小さな温泉宿から、これからの日本らしい「暮らしの質」を提案し続けていきたいですね。

公開日:

2026/9/4

The Beauty of Relationality is an online journal exploring the subtle beauty of human, natural, and social connections, inviting us to warmly reconnect with the world beyond numbers.