マーケットを切り開き続けた
人生の土台は「良き隣人であれ」
ビジネスアドバイザー
元スターキージャパン株式会社 代表取締役社長
高木 日出夫
米国イリノイ大学にてMBAを取得後、PROCTER & GAMBLE FAR EAST INC(現・P&Gジャパン合同会社)に入社し、当時日本初となる紙おむつ「パンパース」の日本国内展開や「液体ミューズ」にて液体石鹸の市場開拓を推進。ジョンソン株式会社にて国内セールスディレクターとして「カビキラー」など家庭用品の日本展開、また20世紀フォックスホームエンターテイメント株式会社(当時)にてセルスルー本部 本部長としてレンタル主流であった家庭用DVDのセルスルー市場の開拓、ボシュロム・ジャパン株式会社にてコンタクトレンズの国内市場を開拓。Apple Japanに転職し、コンシューマーセールス本部長として、iMac・iBook・iPodの国内販売を責任者として牽引。MHDモエヘネシーディアジオ株式会社 常務取締役に就任し、シャンパン等の酒類ブランドの国内市場開拓を経て、補聴器のスターキージャパン株式会社 代表取締役に就任。
「もっと売れてもいい」商品のマーケット切り開いたパイオニア
高木さんは、次々に新しいマーケットを切り開き続けてこられていますね。そこに至るご経歴について教えてください。
イリノイ大学でMBAを取得し日本に帰国しようとした際、米国P&Gから日本法人にと声がかかりました。P&Gはコンシューマーグッズの学校と言われていたこともあり入社。人材育成、社員教育に大変力を入れている会社で13年間在籍しました。
日本ではまだ布おむつが主流で、紙おむつのパンパースが発売された直後のころに、パンパースを日本のマーケットに展開する部門に配属されました。競合の国内メーカーが卸売と直接繋がって販売している日本市場で、シェアを獲得していく必要がありました。
今のように消費者に直接売ることはできないので、営業のメンタリティだけでは通用しません。営業にマーケティングの視点を持ち込み、小売店に直接営業をかけることで市場拡大しました。
20世紀フォックスホームエンターテイメント社では、当時レンタルが主流だった家庭用実写映画V H Sの市場において、セルスルー(販売)の市場拡大を目指すタイミングで、当事業の本部長のポジションで声がかかりました。もともと売り場がない商品なので、ディスプレイごと販売店に持ち込み、担当バイヤーを紹介してもらい、利益の高さを説いて営業して回りました。また、セルスルー商品には特典映像を加えるなど、販売手法に工夫を重ね地道に全国に広げてきました。
Apple Japan社では、iPodの店頭販売に乗り出すタイミングで、小売店向けの販売員を採用・養成し市場拡大を担い、MHDモエヘネシーディアジオ社では、シャンパンがまだ日本での消費が普及していない時代に、グラス単位で飲めるよう炭酸をキープできる技術を導入し、バー・クラブ・レストランへの営業を地道に重ねて、ドン ペルニヨンやモエ エ シャンドンを普及させてきました。最後は、補聴器のスターキー社で代表を務めましたが、補聴器も諸外国と比べて日本では普及率の低い製品です。超高齢化社会にもっと普及してもいいものと思い、市場を拡大してまいりました。
長期的なマーケティングの視点を持った地道な営業
次々と新しいカテゴリーを開拓することができたのは、どのようなことをされたからですか?
マーケティングと営業の間のコーディネーションをやり続ける営業チームを作ってきました。
例えば、パンパースを展開した時の話です。布おむつが一般的だった時代に、紙おむつを売る必要がありました。布おむつはお母さんの愛情表現として作られていたので、伝統や習慣を変えるのはとても大変なことです。布おむつを作ってしまっては時すでに遅し、なんです。そこで、日本中の「お母さん教室」が行われる保健所を回ってパンパースの3枚入りの無料サンプルを配り、妊娠中のお母さんが布おむつを作る前に渡していただく取り組みを実施。
パンパースにすることで、お母さんが楽になって赤ちゃんとのスキンシップが増えることを実感いただき、専門家である「お母さん教室」の先生にファンになってもらうという活動を地道に行いました。その日の売り上げにはつながらないけれど、「専門家がいいと思ってくれること」が市場を作ると信じて、マーケットを長期に見た地道な努力を続けてきました。それが市場を作ることにつながったと思います。
No-Authority , All-Responsibility
常に最前線のラインマネジメントの立場でご活躍されていますが、その中で大切にしてきたことは何ですか?
「全て自分の責任」という姿勢であったことです。
仕事をしていると「誰の責任だ?」と問われる時が何度もあります。その時にとにかくまずは「自分の責任だ」ということが大事。他の誰かの責任にすれば周囲からのサポートが得られないことになります。
例えば自分が担当しているブランドで不良品が出たときも「自分の責任だ」とするとみんなが助けてくれます。これをもし製造の責任だというと周囲の対応が変わったでしょう。
この姿勢は、幼少期からの教育で「良き隣人であれ」と言われ続けたことの賜物だと思います。気軽に私の責任ですと言っていると、周りが助けてくれました。
またP&Gでは、No-Authority , All-Responsibilityがブランドの人間の決め事。つまり、権力はないけど、全部自分の責任。営業や製造部隊はいろんなブランドを扱っているが、ブランド担当者はそのブランドだけをみているので、原料からエンドユーザーの手に渡るまで全て、責任はお前だと言われ続けました。その姿勢を大事にしてきたことが、ラインマネジメントの最前線で仕事し続けることができた根底にあると思います。
良き隣人であれ
「もっと売れてもいい」と思う商品をマーケットがまだない中で広げる際、重要なことは何でしたか?
「商品」は表舞台の主役で、私は裏方としてそのチャネルのお客様に商品の良さを理解してもらうことが仕事です。そのために、どの商材・業界においてもお客様と仲良くなることを重視してきました。
仲良くなるためにまず実践していたのは、全て先手を取ったコミュニケーションをすることです。例えば、誰に対しても絶対に先に挨拶する、メールが来たら絶対自分ですぐに返す、など。他には、よく笑うことも大事にしています。それは、P&G時代に日本市場の急拡大を牽引したオーストリア人の上司の影響が大きいです。
彼は目を合わせてよく笑う方で、口癖は「スマイル」でした。私は笑っているばかりで、のほほんとしているように見られるのですが、実は内心、最悪のことを想定し、ネガティブな時もよくあります。しかし、言葉を使うときは絶対にポジティブな方を選ぶことが習慣になっています。
こうした常にポジティブな姿勢であろうとするのは、幼少期から受けた「良き隣人であれ」という教育があったからだと思います。私にとって「良き隣人であれ」とは、誠実で裏表がないということ。そうしていると周囲も安心するようです。ちなみに、自己紹介するとき、「高木日出夫」という名前は左右対称で裏表がないです、と言いながら関係を作ります。
「良き隣人であれ」が高木さんのパイオニア人生を支える大切な教えとなっていたのですね。ありがとうございました。
その他のアドバイザー・
パートナーのみなさま